日本の命運も決した“運命の5分間”
ミッドウェー海戦
― Battle of Midway ―

 
    【日本軍】
   第1機動部隊(南雲忠一中将)
   空襲部隊
   第1航空戦隊(南雲中将)
       空母 赤城(青木泰次郎大佐) 加賀(岡田次作大佐)
 
   第2航空戦隊(山口多聞少将)
       空母 飛龍(加来止男大佐) 蒼龍(柳本柳作大佐)
 
 
   支援部隊
   第8戦隊(阿部弘毅少将)
       重巡 利根(岡田為次大佐) 筑摩(古村啓蔵大佐)
 
   第3戦隊第2小隊(高間完大佐)
       戦艦 榛名(高間大佐) 霧島(岩淵三次大佐)
 
 
   警戒部隊
   第10戦隊(木村進少将)
       軽巡 長良(直井俊夫大佐)
       第4駆逐隊(有賀幸作大佐)
         駆逐艦  萩風 舞風 野分 嵐
       第10駆逐隊(阿部俊雄大佐)
         駆逐艦  秋雲 夕雲 巻雲 風雲
       第17駆逐隊(北村昌幸大佐)
         駆逐艦  谷風 浦風 浜風 磯風
 
 
   第1補給隊
       極東丸 神国丸 東邦丸 日本丸 国洋丸
 
   第2補給隊
       日朗丸 第二共栄丸 豊光丸
   ※この他に山本連合艦隊司令長官が指揮する主力部隊、近藤信竹第2艦隊司令長官が指揮する
    攻略部隊、先遣の潜水艦部隊が作戦に参加している
 
 
 
 
 
    【米軍】
   第17任務部隊(F・J・フレッチャー少将)
    第2群(ウィリアム・W・スミス少将)
       重巡 アストリア ポートランド
 
    第5群(エリオット・バックマスター大佐)
       空母 ヨークタウン
 
    第4群(ギルバート・C・フーバー大佐)
       駆逐艦 ヒューズ モリス アンダーソン ハンマン ラッセル グウィン
 
 
   第16任務部隊(レイモンド・A・スプルーアンス少将)
    第5群(ジョージ・D・ミュレー大佐)
       空母 エンタープライズ ホーネット
 
    第2群(トーマス・C・キンケード少将)
       重巡 ニューオーリンズ ミネアポリス ビンセンス ノーザンプトン ペンサコラ
       軽巡 アトランタ
 
 
    第4群(アレキサンダー・R・アーリー大佐)
     第1水雷戦隊
        駆逐艦 フェルプス ウォーデン モナガン エイルウィン
     第6水雷戦隊
        駆逐艦 バルク コニンハム ベンハム エレット マウリー
 
 
 
 
 
 
    【第2期作戦を巡る対立】
   日本軍は開戦以来、快進撃を続け英領香港・マレー・シンガポール・北ボルネオ・ビルマ、蘭
  領東インド、米領フィリピン・グァム・ウェーク、豪領東部ニューギニアの北部を占領した。
   開戦の目的である南方資源の確保はこれで達成したわけだが、次なる戦略をどうするか日本軍
  は全く考慮していなかった。土壇場で開戦を決意した日本軍は第1段階作戦である東南アジア一
  帯の占領作戦の策定に精一杯で、その次の戦略を考える余裕がなかったのだ。
 
   とはいっても、戦争が始まってしまっている以上日本軍は早急に第2期作戦を計画しなければ
  ならないのだが、現状維持かさらなる攻勢かで陸軍と海軍の意見が対立し、さらに海軍部内でも
  どの方面に攻勢をかけるかで軍令部と連合艦隊司令部の意見が対立したのだ。
   軍令部の案は簡単にいうと、東部ニューギニア・ソロモン諸島さらにはフィジー・サモアを占
  領して米豪間の連絡線を遮断するというもので、堅実な作戦だが戦争を早期に終結させる見込み
  はなかった。
   アメリカでの滞在経験があり同国の国力を間近で見てきた山本五十六連合艦隊司令長官からす
  れば軍令部の案は受けいれがたいものであった。彼は短期決戦でしかアメリカに勝つ術がないこ
  とを誰よりも理解していた。山本長官は米豪間の連絡線の遮断というまわりくどい方法よりも直
  接アメリカを突く作戦を主張した。まず、ミッドウェーを攻略しその次にハワイを占領、それで
  も相手が講和に応じなかったら、その本土に上陸する。積極的に攻勢をかけることで戦争の主導
  権を握り続ける。これしか日本がアメリカに勝つ手はないと山本長官は考えたのだ。
   軍令部は山本長官の案に反対した。ミッドウェーは日本の勢力圏から離れすぎてる、つまり基
  地航空隊の支援を受けずに艦隊だけで攻略しなければならないからだ。よしんば、攻略できたと
  してもミッドウェーを維持し続けるには大変な労力を必要とする。ミッドウェーのすぐ近くに敵
  の根拠地であるハワイがあり、同島の守備隊が敵中に孤立する危険もあった。
   双方の意見はなかなか一致せず、山本長官は恫喝と妥協で軍令部を説得しようとした。恫喝と
  は真珠湾攻撃の時と同様、自分の案が採用されなければ辞職するということ、妥協とは軍令部の
  作戦と自分の作戦を交代で遂行していくということである。さらに、山本長官はミッドウェーと
  同時にアリューシャン列島を攻略することで長大な哨戒線が形成できると主張した。これには軍
  令部も同意せざるを得なかった。1942年2月に行われた図上演習で米軍が本土に対して攻撃
  をしかけてくる可能性が指摘されたからである。
   山本長官がミッドウェーに目を付けたのはハワイへの前線基地にするためと真珠湾で撃ちもら
  した敵空母を誘き出すための餌にするためである。軍令部が主張する南太平洋での攻勢でも敵空
  母を誘引することはできるが、ハワイの目と鼻の先にあるミッドウェーの方が確実であった。
   この敵空母の誘引撃滅は先程の図上演習で指摘された本土への攻撃にも関係してくる。194
  2年の時点で米軍が日本本土を攻撃する方法は空母によるものしかなかったからだ。山本長官は
  ミッドウェーを占領すれば哨戒線を形成して本土に接近しようとする敵艦隊を早期に発見できる
  し、空母を誘き出して撃滅すれば本土を攻撃する能力を奪うことができると軍令部を説得した。
 
   1942年4月5日、軍令部は連合艦隊の計画に賛成してフィジー・サモア攻略作戦の前にミ
  ッドウェーとアリューシャンを同時に攻略する作戦に内定を与えた。それから2週間ほど経った
  4月18日午前8時30分に米空母ホーネットから飛び立ったジェームス・H・ドウリットル陸
  軍中佐が指揮するノースアメリカンB−25ミッチェル中型爆撃機16機が東京を空襲するとい
  う事件が起きるとミッドウェー攻略作戦「MI」とアリューシャン攻略作戦「AL」は本格的に
  始動することになった。
 
   めでたく軍令部の承認を得たMI作戦だが、今度は作戦の主役となる空母機動部隊から反対す
  る声が挙がった。開戦以来、休む間もなく戦ってきた機動部隊のパイロット達は疲労のため少し
  ずつ消耗していた。アメリカのようにパイロットの大量育成ができない日本は少しずつの消耗で
  さえ回復させるのは容易ではなかった。機動部隊を指揮する南雲忠一第1航空艦隊司令長官をは
  じめ各艦隊の幕僚はパイロットの休養と訓練のため作戦の延期を上申した。だが、山本長官は月
  齢と気象条件の関係から6月初頭という作戦時期の延期はできないとして上申を却下した。
   命令が下された以上、各艦隊はそれに従うしかなかった。だが、機動部隊にはミッドウェーの
  占領と敵空母の撃滅のどっちを優先させるかの明確な指示はなかった。
 
 
 
    【米軍の作戦】
   米軍は日本がどこを攻めようとしているか予測していた。情報収集と暗号解読によって得られ
  たものだが、それについてひとつエピソードがある。
   日本軍はミッドウェーをAFという符号で表記していたが、これは敵に攻略目標を知られない
  ようにするためである。米軍もAFがミッドウェーを示していることに気付いていたが確証がな
  かった。そこで、ハワイ軍管区戦闘情報班長ロシュフォート中佐はニミッツ太平洋艦隊司令長官
  の許可を得て、ミッドウェーからハワイに向け「真水が不足している」との電報を暗号化せず平
  文で打電させた。そして、2日後に日本が発信した暗号を解読してみると「AFは真水が不足し
  ている」とあったので、米軍は日本の攻撃目標がミッドウェーであることを確信することができ
  た。
 
   ニミッツ提督はミッドウェーにできうる限りの戦力を集結させ、日本軍を待ち構える事にした。
  アリューシャンも攻撃されることはわかっていたが、両方を守るために戦力を分散させては戦力
  で優勢な日本軍に勝つことはできない。それに、アリューシャンへの攻撃はミッドウェー作戦の
  陽動であることがわかっていたのでニミッツ提督は日本軍がミッドウェーに戦力を集中させてく
  ると判断していた。彼はミッドウェーの守備隊を750人から3500人に増強し、航空隊も5
  3機から120機に増やした。さらに、守備隊の指揮官と航空隊の指揮官を中佐から大佐に昇進
  させている。米軍は必要ならば階級をあげることをしょっちゅうしている。ニミッツも昨年まで
  は少将だったし、ノルマンディー上陸作戦を指揮したアイゼンハワー大将は大戦が勃発した頃は
  中佐であった。この抜擢昇進制度は日本にないものである。
 
   さて、いくら守備隊を増強してもそれだけでは敵を撃退することはできない。やはり、艦隊を
  追い払うのは艦隊でしかない。真珠湾で戦艦部隊が壊滅している米軍は空母を中心とした艦隊で
  日本艦隊を迎撃することにした。
   しかし、米軍には空母が4隻しかなかった。しかも、その内の2隻が日本軍の攻撃で損傷して
  いたのだ。ニミッツ提督は珊瑚海海戦で損傷した空母ヨークタウンを本土ではなくハワイに向か
  わせ同地で応急修理だけさせミッドウェー防衛戦に参加させることにした。もう1隻のサラトガ
  は本土で修理を受けていたが、これにも速やかにハワイに向かうよう指示し、作戦までに間に合
  わなければ航空隊だけでも向かわせるよう命じた。
   結局、サラトガは間に合わなかったがヨークタウンは3日間修理を受けただけで戦線に復帰し
  た。これで米軍が太平洋で使用できる空母は3隻となった。その空母部隊の指揮を誰が執るかだ
  が、本来なら第16任務部隊(空母エンタープライズ・ホーネット基幹)司令のウィリアム・F
  ・ハルゼー中将が指揮を執るのだが、彼は重い皮膚病で入院している。代役としてニミッツ提督
  はハルゼーが推薦したレイモンド・A・スプルーアンス少将を指揮官に任命した。スプルーアン
  スは空母を指揮したことがなかった。そんな彼をハルゼーが推薦したのは、常に慎重で石橋を叩
  いても渡らないが、チャンスとみるや積極的に攻撃をかけるという性格を見込んだからだ。それ
  に空母の指揮は珊瑚海海戦を戦った第17任務部隊のフランク・ジャック・フレッチャー少将が
  執るから問題はなかった。
   ニミッツ提督は二人の指揮官に「敵を待ち伏せて横から全力でたたけ。狙うのは空母のみ。他
  の艦には手を出すな」と指示して、戦地に送り出した。第16任務部隊が真珠湾を出港したのは
  5月28日正午、第17任務部隊が出港したのは30日午前9時である。
 
 

    【日本軍の出撃】
   5月26日、角田覚治少将麾下の第2機動部隊(空母2、重巡2、駆逐艦3)が大湊を出港し
  た。アリューシャン攻略作戦に参加するためである。その翌日の午前4時、南雲中将麾下の第1
  機動部隊が柱島泊地を出撃し、午後8時過ぎに第2水雷戦隊に護衛された上陸部隊(海軍陸戦隊
  と陸軍の一木支隊5000人)がサイパンを出撃した。同じ頃、上陸部隊を支援する第7戦隊が
  グァムを出港した。
   上陸部隊も支援部隊も近藤信竹第2艦隊司令長官が指揮する攻略部隊に属する。その攻略部隊
  の本隊が出撃したのは29日の午前5時で、その後に山本連合艦隊司令長官が直率する主力部隊、
  最後に高須四郎第1艦隊司令長官麾下の警戒部隊が続いた。
   ミッドウェー攻略作戦には連合艦隊司令長官が直々に出向くこともあって連合艦隊のほとんど
  の艦艇が参加していた。ひとつの小さな島を奪うには大げさすぎる陣容である。それだけ山本長
  官の意気込みを感じさせるのだが、大艦隊が動くということはその分燃料を消費するということ
  であり、それにこれだけの大部隊で万が一にも敗れるようなことがあったら格好がつかない。だ
  が、長官も各艦隊の将兵も否、日本中の誰もが勝利を確信していた。だって、俺達には開戦以来
  負け知らずできた「20世紀の無敵艦隊」がついてるんだ。負けるわけないじゃないか。
 
   日本艦隊が出撃を開始したことはすぐ米軍に察知されていた。というよりもミッドウェーに関
  するあらゆる日程や参加する艦隊の規模が暗号の解読で事前に知られていたからである。日本軍
  が動き出したのを知った米太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将は空母部隊に出撃を命
  じた。
   空母部隊らしき敵艦隊がミッドウェーの北方の海域に存在していることを日本側が察知したの
  は6月4日の夜であった。戦艦大和の通信班が敵が発する呼出符号を傍受して得た情報だが、連
  合艦隊司令部は第1機動部隊も傍受しているだろうと思いこんで敵空母部隊の存在を機動部隊に
  知らせなかった。
   だが、機動部隊は敵の通信を傍受してはいなかった。そのため機動部隊は敵空母部隊が存在し
  ないことを前提に作戦を遂行していくことになる。
 
 
 
    【ミッドウェー空襲】
   6月5日午前4時30分、第1機動部隊はミッドウェーの北西240海里の地点から第1次攻
  撃隊(零戦36機、99艦爆36機、97艦攻36機)を発進させた。
   哨戒機から敵機の来襲を報告されていたミッドウェーの基地航空隊はブリュスターF2Aバッ
  ファロー戦闘機26機を迎撃のため発進させたが、旧式のF2Aは零戦の敵ではなく大半が撃墜
  された。攻撃隊は基地の施設や飛行場を空爆したが、決定的な損害を与えるには至らなかった。
  攻撃指揮官の友永丈市大尉は午前7時05分、艦隊に「第2次攻撃の要あり」と打電した。
   報告を受けた南雲中将は午前7時15分、待機していた第2次攻撃隊の兵装を対艦戦用から地
  上攻撃用に転換するよう命令を下した。
 
   一方、米軍は必死に日本艦隊の所在を突き止めようとしていた。そして、午前5時30分にそ
  れを発見した。報告を受けたミッドウェー基地は残存しているすべての雷撃機・爆撃機を発進さ
  せた。だが、悲しいかな練度が未だ低い彼等では機動部隊に1発の命中弾を与えることができず
  上空直援の零戦にことごとく喰われていった。
 
   さて、米機動部隊の動向を全くつかめないでいる南雲機動部隊だが、それだけでこの海域にそ
  れが存在しないと完全に思いこむほど彼等も馬鹿ではなかった。第1次攻撃隊と同時に7機の索
  敵機を発進させる予定であったが、故障などの原因で大きく遅れてしまった。
   30分ほどおくれて発進した重巡利根の索敵機が東方240海里の地点で敵艦隊を発見したの
  は午前7時28分であった。
   敵艦隊発見の報告に南雲中将以下司令部は驚いたが、空母の有無が確認できてなかった。南雲
  中将は報告をよこした索敵機に艦種を報告するよう命じ、午前7時45分、兵装転換を中断させ
  た。午前8時09分、索敵機が敵艦隊に空母は存在しないと報告すると司令部はほっとしたが、
  直後の20分に索敵機が空母を発見して10分後に南雲中将に報告されると司令部は衝撃に包ま
  れた。本来なら敵を発見した時点で攻撃隊を発進させるべきなのだが、この時の南雲機動部隊の
  攻撃隊は兵装転換で陸用爆弾を搭載していたため、南雲中将は雷装への転換命令を出した。第2
  航空戦隊の山口多聞少将が飛行甲板にあるものだけでも発進させるべきだと意見したが、護衛戦
  闘機をつけられない、地上用の兵装では敵艦を撃破できないとの理由で却下された。南雲中将は
  水雷出身のため敵艦は撃沈しなければ意味がないと考えたかもしれないが、空母というのは甲板
  がやられたら軍艦としての価値をなくすものなのである。そして、装甲化されていない飛行甲板
  は地上用の爆弾でも穴を開けることができるのだ。
   再度の兵装転換と第1次攻撃隊の帰還で各空母は混乱状態になった。混乱を収拾させるため南
  雲中将は全部の艦載機を格納庫に降ろして攻撃隊を収容し、その間に兵装転換を行うことにした。
   機動部隊が帰還した第1次攻撃隊の収容を終えたのは午前9時18分だが、格納庫では兵装の
  転換が進められ爆弾が放置されたままとなっていた。
 
 
 
    【空母全滅!】
   南雲機動部隊発見の報告を受けたスプルーアンスはその正確な位置を確認すると午前7時に空
  母エンタープライズとホーネットからそれぞれ戦闘機10機、急降下爆撃機34機、雷撃機14
  機、計116機を発進させた。しかし、攻撃隊は途中でバラバラとなり各個で敵艦隊に突入する
  ことになった。敵までたどり着けたのはまだ良い方で、母艦に戻る者、ミッドウェー基地や海上
  に不時着する者が相次いだ。
   南雲機動部隊に最初に接触したのはホーネットの雷撃隊であった。午前9時18分、ちょうど
  南雲艦隊が攻撃隊の収容を終えていた頃であるが、上空の零戦隊に全滅させられた。続いて49
  分にエンタープライズの雷撃隊14機が飛来したが、これも損害を与えることなく零戦に10機
  を撃墜された。
   午前10時15分、フレッチャー少将が指揮する空母ヨークタウンの雷撃隊と戦闘機隊がやっ
  て来たが、彼等も零戦に散々な目に遭わされた。だが、それによって零戦のほとんどが低空に降
  りてしまい、上空がガラ空きとなってしまった。
   そして、午前10時20分エンタープライズの急降下爆撃隊30機が太陽を背にして日本空母
  に向かって急降下してきた。空母赤城に500kg爆弾2発、加賀に同4発が命中した。それと同
  時にヨークタウンの急降下爆撃隊17機が飛来して、空母蒼龍に500kg爆弾3発を命中させた。
   攻撃を受けたとき南雲艦隊の空母はどれも兵装転換を終えたばかりで、格納庫に爆弾が放置さ
  れたままであった。また、発艦準備を終えようとしていた第2次攻撃隊には爆弾と燃料が満載さ
  れていた。そこへ爆弾が飛び込んできたのだ。日本の空母は航海中に波が格納庫にはいるのを防
  ぐため格納庫を密閉式にしていた。そのため格納庫まで落ちた爆弾が爆発して爆風が発生しても
  外部に流れることなく艦内で充満していき、やがて放置されていた爆弾に誘爆して大爆発を起こ
  した。
   最初に沈んだのは蒼龍で午後7時13分に沈没した。つぎに加賀が25分に沈没、最後に赤城
  が翌日の午前4時50分に味方駆逐艦の雷撃で沈められた。
   攻撃を受けたとき機動部隊は後5分で第2次攻撃隊を発進できるところであった。もし、米軍
  機が飛来するのが5分遅かったとしたら・・・。これが「運命の5分間」である。
 
 
   空母3隻大破の報告が山本長官にもたらされたのは午前10時50分であった。予期しない報
  告に戦艦大和にある連合艦隊司令部は大きな衝撃を受けた。
   山本長官はアリューシャンの第2機動部隊を急遽南下させると同時に、山口少将に1隻だけ残
  った飛龍で反撃にでるよう命じた。さらに近藤中将の攻略部隊にもミッドウェーへの攻撃命令を
  出した。
 
   命令を受けた山口少将は、午前10時58分に飛龍から小林道雄大尉が指揮する第1次攻撃隊
  (零戦6機、99艦爆18機)を発進させた。攻撃隊は午前11時40分に敵空母部隊を発見し、
  ヨークタウンに250kg爆弾3発を命中させ一時航行不能にさせた。しかし、攻撃隊も対空放火
  と戦闘機の迎撃で大半が撃墜され帰還したのは零戦1機(途中で2機が引き返している)と艦爆
  5機だけであった。指揮官の小林大尉も帰ってこなかった。
   第1次攻撃隊の損害を見て飛龍の将兵は米軍の強さを思い知らされたが、山口少将としてはこ
  こで引き下がるわけにはいかなかった。午後1時30分、山口少将はミッドウェー攻撃隊の指揮
  官であった友永大尉を指揮官とする第2次攻撃隊(零戦6機、97艦攻10機)を発進させた。
  この時、友永大尉の97艦攻は片翼の燃料タンクを撃ち抜かれており、修理が必要な状態であっ
  たが、大尉は「燃料は片道分だけあれば十分」としてそのまま機上の人となった。
   第2次攻撃隊は午後2時40分に敵空母を発見した。一見、なんの損傷も受けてないように見
  えたので新たな空母を発見したと判断したが、それは午後1時50分に再び動き出したヨークタ
  ウンであった。攻撃隊は5機を撃墜されるもヨークタウンに魚雷2本を命中させた。ヨークタウ
  ンは大破して再び航行不能になり、午後2時55分に乗員に総員退艦が告げられた。
 
   ヨークタウンを大破させた飛龍だが、彼女にも危機が迫っていた。午後2時45分、飛龍を発
  見したとの報告を受けたスプルーアンスは午後3時50分にエンタープライズから急降下爆撃機
  24機を発進させた。午後5時03分、飛龍を発見した急降下爆撃隊は同艦に500kg爆弾4発
  を命中させた。この時、飛龍は第3次攻撃隊を発進させようとしていたが、たちまち炎に包まれ
  た。6日午前5時10分、飛龍は味方駆逐艦の魚雷で処分され昼頃に沈没した。山口少将と艦長
  の加来止男大佐は艦と運命を共にした。
 
   日本軍の損害は機動部隊だけではおさまらなかった。ミッドウェー砲撃の命令を受け同島に接
  近中の第7戦隊に作戦中止が告げられ反転するよう命じられたが、そのときに重巡最上と三隈が
  衝突して三隈が7日にエンタープライズとホーネットの急降下爆撃機に攻撃され沈没した。
 
   一方、放棄されることが決まったヨークタウンだがなかなか沈まないので、調査をすると復旧
  が可能と判明したので真珠湾に回航することにした。だが、7日午後1時30分過ぎに伊168
  潜水艦の雷撃を受け、8日午前4時58分に沈没した。
 
 
 
    【太平洋戦争のターニングポイント】
   日本軍は作戦前には夢にも思わなかった惨敗を喫した。たった2日間で日本軍は虎の子の空母
  4隻と重巡1隻、貴重な搭乗員110名(216名とする資料もある。またこの数字には重巡に
  搭載されている水偵搭乗員の戦死者11名は含まれていない)を失い、積極的な攻勢にでる力を
  永遠に喪失した。
   米軍の損害も大きかった。軍艦の沈没こそ空母1隻と駆逐艦1隻だけであったが、3隻の空母
  とミッドウェー基地の航空隊は全滅に近い損害を受け2ヶ月は作戦不能となった。だが、米軍が
  損害を2ヶ月で回復できるのに対し、日本軍は最後までこの海戦で被った損害を回復させること
  ができなかった。その意味でミッドウェー海戦は太平洋戦争のターニングポイントとなったのだ。
 
   さて、日本軍の敗北の原因は何だったのか。巷では暗号が解読されたからだというが、確かに
  それで米軍は戦力を集中させることができた。だが、ミッドウェー作戦の目的の一つが敵機動部
  隊の撃滅ならば米軍の戦力集中はかえって好都合だったはずである。
   ニミッツ提督は日本軍の敗因は戦力を集中させなかったことにあるとした。日本軍が11隻の
  戦艦と8隻の空母を集中させていたら、我々はいかに幸運であろうともこれを撃退することはで
  きなかっただろうと。
   少し説明する。幸運とは暗号を解読して日本軍の動きを掴んだことである。11隻の戦艦とは
  南雲機動部隊の戦艦2隻と主力部隊の第1戦隊(大和、長門、陸奥)と警戒部隊の第2戦隊(伊
  勢、日向、山城、扶桑)、攻略部隊の第3戦隊第1小隊(金剛、榛名)で、8隻の空母は機動部
  隊の4隻の空母と主力部隊の鳳翔、攻略部隊の瑞鳳、そしてアリューシャン作戦に従事した第2
  機動部隊の第4航空戦隊(龍驤、隼鷹)のことである。ニミッツ提督はこうも言ってる。ミッド
  ウェーが占領できたらアリューシャンはいつでも攻略できるし、ミッドウェー攻略作戦が失敗し
  たらアリューシャンなど攻略する意味がないと。さらに彼はアリューシャンに向かった第2機動
  部隊が最初からミッドウェー攻略作戦に参加していたら海戦の様相は大きく変わっていただろう
  とも言っている。
   他に敗因を挙げると各部隊の連携の不備、南雲中将の判断ミス、開戦以来負け知らずできたと
  いう驕り、作戦そのものが真剣に検討されなかった等、いろいろあるが何よりの問題はこの大敗
  の責任を誰も取らなかったことである。そして、敗因の研究もろくにされず事実の隠蔽だけが徹
  底的に行われた。
 
   山本長官が主張したように日本がアメリカに勝つには優勢な戦力による積極的な攻勢しかない
  としたら、ミッドウェーで4隻の空母が沈没した時点で日本に勝利の望みが無くなったことにな
  る。だが、日本の指導者達はそれに気づかず否、それを認める勇気がないばかりに無謀な抵抗を
  続け何百万人もの犠牲者を出していくことになるのである。
 
 
海戦記トップへ