シリーズ 日本の戦車図鑑1
3式中戦車
車体長5.73m 全幅2.33m 全高2.61m 全備重量18.8t
乗員5名 エンジン 統制型100式4ストロークV型12気筒空冷ディーゼル
最大出力240hp/2000rpm 最大速度38.8q 航続距離210q
武装 3式38口径75o戦車砲 携行弾数70(徹甲弾35、榴弾35)発
97式車載7.7o重機関銃 携行弾数3670発
装甲 砲塔12〜50o 車体上部10〜50o 車体下部20〜50o
本当ならはんにばるが担当しなければならないのですが、軍艦の知識はあっても戦車にはそれ
ほど詳しくないとのことで特別にりんたが担当します。
上図の3式中戦車ですが、3式というぐらいだから皇紀2603年に採用されたかのように思
うかも知れませんが、これの製作が開始されたのは2604年5月からなんですよ。ちなみに皇
紀2603年は西暦にすると1943年です。末尾が同じ数字なのはいろいろと助かります。
なぜ開発が遅れたかですが、もともと3式は開発される予定がなかったんですよ。ところが、
アメリカにM4戦車が登場して現在の新鋭である1式中戦車では歯が立たないことが明らかにな
りました。しかも正規の後継戦車である4式中戦車の開発にはまだ時間がかかりますから、それ
までのつなぎとして3式が開発されることになったんです。開発は急ピッチで行われ10月に試
作車が完成して12月から量産が開始されました。
3式の車体は1式中戦車と同じで97式中戦車の最終発展型といえる戦車となっています。そ
のため車体の装甲は1式と差はありませんでした。
もちろん、主砲は1式の47o戦車砲からパワーアップしたものが搭載されました。当初は9
5式75o野砲を改造した砲が搭載される予定だったのですがM4に対して威力・命中率共に不
足していたのとオリジナルの砲自体が生産不足で砲兵が砲の提供を渋ったため、代役として90
式75o野砲が採用されました。この砲は砲身命数が短かったため野砲としては欠陥品でしたが、
発射する弾数が少ない戦車戦に使用する分には問題ありませんでした。初速は680m/秒で1
00mの距離から90o、1000mでは65oの装甲を貫通することができました。ライバル
のM4の最大装甲が砲塔前面の89oでしたから十分に対抗できました。弾数は70発で30発
は戦闘室床下に、40発は砲塔後部の張り出し部に収容されました。また、副武装として車体左
前面に7.7o重機関銃が搭載されました。なお、従来の戦車に搭載されていた砲塔機関銃は廃
止されました。
他に特筆する点としてエンジンがあります。1式と同じエンジンである統制型100式空冷エ
ンジンは出力240hpで当時最大級のパワーを誇っていました。当時ディーゼルエンジンを搭載
していたのは戦車大国のソ連と日本だけでした。
ようやくにして列強となんとか戦える戦車を手にした日本でしたが、すでに送り込む外地は沖
縄だけとなっていました。1945年6月に沖縄も陥落すると3式中戦車は本土決戦に使用され
ることになりましたが終戦によりM4と相まみえることはありませんでした。最終的な生産数は
諸説紛々で不明ですが、戦後ほとんどの車両は破壊され現存するのは2輌だけです。
さて、ここで悲しいお知らせがあります。シリーズ日本の戦車図鑑はこれで最終回となります。
どうもありがとうございました。
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