日本三名城の一つに数えられる熊本城は言うまでも無く加藤清正によって築城された。 しかし、加藤氏がこの城の主であった時期はわずか25年でしかなかった。以後は、細川 氏が城主となる時代が明治まで続くことになる。この間、幸か不幸か熊本城は防御要塞と しての機能を発揮する機会に恵まれていない。そして、迎えた明治という新しい時代。過 去の遺物として一時は無用の長物と解体も検討された熊本城は、にわかに戦乱に巻き込ま れることになる。明治新政府の政策に反発する薩摩隼人が決起して熊本城に迫ってきたの だ。政府軍は谷干城を指揮官としてこれを迎え撃つのだった。 【前史】 【西南戦争勃発】 【攻城戦】 【日本軍事史の転換点】