八八艦隊唯一の完成艦
戦艦長門




       排水量32,720t 全長213.4m 全幅29m 吃水9.1m
       出力80,000hp 速力26.5kt 航続距離16kt/5,500浬
       兵装 45口径41cm連装主砲4基8門 50口径14cm単装副砲4門
          40口径7.5cm高角砲4門 53cm魚雷発射管8基
       乗員1,333名
 
 
 
 
 
 
   20世紀になってようやく戦艦を国産できるまでに成長した日本だったが、その直後に訪れた
  ド級・超弩級戦艦時代には全く対応することができなかった。そうした経緯と増強著しいアメリ
  カ海軍に対抗するため帝国海軍は戦艦8隻・巡洋戦艦8隻を建造する八八艦隊計画をスタートさ
  せた。その一番目として1917年8月28日に呉海軍工廠で起工されたのが長門である。
   長門はジュットランド海戦の戦訓を取り入れたポスト・ジュットランド型戦艦で、攻撃力・防
  御力・速力に優れた艦となっている。特に世界で初めて40p(実際は41p)砲を搭載するな
  ど竣工当時は世界最強の攻撃力を誇った。速力も同じ40p砲を搭載した米戦艦コロラドよりも
  5.5kt優速になっている。これに加え、艦橋は従来の3本マストの三檣楼から1本の太いマス
  トを中心に6本のマストを組み合わせた七檣楼に変更され丈夫な構造になっている。
   日本海軍はさらに強力な戦艦を続々と建造する予定だったが、1922年2月7日に調印され
  たワシントン軍縮条約で新型戦艦の建造は中止となり、八八艦隊計画で竣工した戦艦は長門と無
  理矢理完成にこじつけた同型の陸奥だけとなった。この2隻はイギリスのロドネー級2隻、アメ
  リカのコロラド級3隻と共にビッグセブンと呼ばれた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
       排水量32,730t 全長215.8m 全幅29m 吃水9.1m        出力80,000hp 速力26.5ノット        兵装 45口径41p連装主砲4基8門 50口径14p副砲20門           40口径12.7p連装高角砲4基8門 40o連装機銃2基4挺           魚雷発射管8基                   水偵3機        乗員1,368名    長門は軍縮条約のため新造戦艦が建造できない代わりとして改装を施された。主な改装点は一   番煙突を後方に曲げたことで、これにより煙突からの排煙が艦橋に逆流するという欠点が和らげ   られた。他に対空兵装が強化され、後檣の後ろにカタパルトが装備された。
       排水量39,130t 全長224.5m 全幅34.6m 吃水9.49m        出力82,000hp 速力25kt 航続距離16kt/8,650浬        兵装 45口径41p連装主砲4基8門 50口径14p単装副砲18門           40口径12.7p連装高角砲4基8門 25o連装機銃10基20挺        水偵 3機        乗員1,368名    軍縮条約が失効すると帝国海軍は長門を再度改装した。前回と異なり軍縮条約の規制がないた   め自由に改装することができた。今回は防御力の強化に主眼が置かれ、甲板に装甲が追加された   ほか、舷側装甲も強化された。また、舷側にバルジが備えられ重くなった船体に浮力を与え、水   雷防御も高められた。こうした防御力の強化で長門の防御甲板重量は竣工時の4.7tから6.   9tに増加している。    攻撃力も向上している。主砲が土佐級戦艦の砲塔に換装され、最大射程が37,900mに上   がった。副砲も仰角が最大35度に引き上げられ、最大射程は19,100mとなった。    このように長門の性能は向上したが、逆に性能が下がった部分もあった。長門の燃料は重油と   石炭だったが、改装によって重油だけとなった。重油タンクの増設で航続力は向上したが、出力   が変わらないため船体が重くなった分速力が低下している。    太平洋戦争では連合艦隊旗艦として開戦を迎えたが、その後は活躍の機会に恵まれず1944   年10月25日のサマール沖海戦で米護衛空母を砲撃しただけで終戦を迎えた。終戦時、長門は   唯一航行可能な戦艦であったが、アメリカに引き渡され1946年の原爆実験に使用された。長   門は爆心地に近いところに配置されたが、1ヶ月近く浮かび続け、7月29日に誰にも見られる   ことなく海に沈んだ。
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