新戦術“ポエニ戦法”、日本駆逐艦部隊を殲滅す
ベラ湾海戦
Battle of Vella Gulf
【日本軍】
コロンバンガラ輸送隊(杉浦嘉十大佐)
第4駆逐隊 萩風 嵐
駆逐艦 江風
警戒隊
第27駆逐隊 時雨
【米軍】
駆逐艦部隊(フレデリック・ムースブルーガー中佐)
第12駆逐隊 ダンラップ クレイブン モーリー
第15駆逐隊 ラング ステレット スタック
1943年6月より始まったニュージョージア島の戦いは8月4日にムンダ飛行場が米軍に
占領されたことで事実上終結した。日本軍は対岸のコロンバンガラ島の守備を強化するため第
6師団の6個中隊940名と物資90トンを輸送することにした。
8月6日未明、第4駆逐隊司令杉浦嘉十大佐が指揮する4隻の駆逐艦は陸軍の将兵を乗せて
ラバウルを出発した。4隻のうち兵員と物資を搭載するのは3隻で残り1隻は警戒任務にあた
ることになった。
この日本軍による輸送を米軍は「東京急行」と呼んでいたが、杉浦隊の行動を察知したウィ
ルキンソン少将はムースブルーガー中佐の駆逐艦部隊をベラ湾に派遣した。
ムースブルーガー中佐はかねてより考えていた戦法を実践するときが来たと喜んだ。その戦
法とはレーダーで敵を早期に発見してもこれを砲撃しては敵に自分の位置を知らせることにな
るから、いっさい砲撃を加えずひそかに雷撃をするというものである。さらに、ムースブルー
ガーは前任者のアーレイ・A・バーク大佐が提案した新戦法も試すことにしていた。それは二
つの部隊が交互に攻撃を行うというもので、古代ローマのローマとカルカゴの戦術から「ポエ
ニ戦法」と呼ばれた。
午後9時30分にベラ湾に突入した杉浦隊はコロンバンガラ島の泊地に向かう途中の午後9
時42分、左舷前方に敵艦隊を発見した。だが、遅すぎた。レーダーで敵を発見していたムー
スブルーガー中佐は北方より来る敵に対し、麾下の第12駆逐隊を左方に第15駆逐隊をその
右後方に配置し待ち構えていたのだ。そして、杉浦隊が米軍部隊を発見する直前の午後9時4
1分に第12駆逐隊が杉浦隊の真横から雷撃を敢行したのである。
魚雷は萩風・江風に2本、嵐に3本命中し3隻とも航行不能に陥った。さらにそこへ第15
駆逐隊が立ち上がった水柱を目標に砲撃を加えてきた。3隻は反撃する暇もなく撃沈された。
残る時雨は警戒艦でありながらなぜか最後尾にいたので雷撃をかわすことができた。時雨は
魚雷を発射して右に転舵し逃走した。魚雷は命中しなかった。
この海戦で日本軍は3隻の駆逐艦と同乗していた陸軍将兵820人を海に沈められた。対す
る米軍の被害はゼロで完全な敗北であった。日本軍は中部ソロモンの放棄を決定し、防衛線を
ブーゲンビルまでさげた。
この海戦は小規模で全体の戦局に影響を及ばさなかったように思えるが、実は大きな意味を
持っていた。それまでの水雷部隊同士の海戦ではたとえ負けてしまっていても日本軍は米軍に
一矢報いるか、そうでなくても作戦自体は成功させていた。しかし、今回の海戦では1隻も傷
つけることなく、しかも輸送作戦も失敗に終わっていた。御家芸であったはずの夜戦や雷撃戦
でも日本は米軍に勝つことができなくなってしまっていたのだ。そういった意味で今回の海戦
は大きな意義を持つ戦いであった。
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