続・戦艦大和





 
    〈最終時の兵装〉45口径46cm3連装主砲3基9門 60口径15.5cm3連装副砲
            2基6門 40口径12.7cm連装高角砲12基24門 25mm3連
            装機銃50基150挺 13mm連装機銃2基4挺
 
 
 
 
 
 
   戦艦は自分が装備している主砲の直撃に耐えられる装甲を持つというのが常識である。そのた
  めに戦艦は分厚い装甲を施されるのだが、全面に装甲を張るととてつもない重量となる。そこで
  列強海軍は砲塔・弾薬庫・機関部といった重要部(バイタル・パート)のみを重点的に防御する
  「集中防御方式」を採用していた。
   だが、そのバイタル・パートでただひとつ装甲を張れない箇所があった。煙突である。煙突自
  体は装甲を張れるのだが、その内部つまり煙路とよばれる部分には穴があいている。バイタル・
  パートの唯一の弱点だが、装甲を張れば穴を塞ぐことになる。
   そこで、採用されたのが「蜂の巣甲鈑」である。これは直径18cmの無数の穴があいた厚さ3
  80mmの甲鈑を煙路にとりつけることで、排気を塞がずに防御ができるという画期的なアイデア
  である。
   さて、重装甲で防御されたバイタル・パートというのはどのくらいの面積を占めるのか。大和
  でいうと(他の艦はしらねぇ)水線長の53%で、舷側410mm・甲板230o・砲塔上面27
  0mm・砲塔前面650o・司令塔500o・弾薬庫区画は上部300o・下部270oの装甲で
  覆われている。ちなみに水偵格納庫は35〜50o、舵取機械室は200oである。
 
   大和は全長は短く幅が広いスタイルを持っている。これは敵艦の攻撃が命中する面積を少なく
  するための処置だが、幅がその分広がったため高速力を発揮するには不利だった。金剛級のよう
  に30kt前後の高速を出す必要はあまりないが長門級のような25ktでは戦闘に支障を来す。
   海軍は少しでも速力をアップさせようと様々なアイデアが採用された。その代表がバルバス・
  バウである。
   バルバス・バウとは球状艦首のことで艦首を吃水線部分から3m突出させている。これによっ
  て大和は27ktで航行した場合、8%もの造波抵抗を減らすことに成功し、抵抗が減った分機関
  の出力も減らすことができ、全長も当初より3m短くすることができた。排水量でいうと約30
  0t軽くすることができたのである。
 
   大和の乗員は長門より1,000名以上多くなっている。排水量は6割以上大きくなっている。
  これは大和の乗員一人あたりの床面積が長門のそれよりも0.6平方メートル広くなったことを
  意味している。大和はそれまでの戦艦よりも居住性が優れているのである。例えば、軍艦は大型
  の戦艦でも兵員はハンモックで寝起きをするが、大和はベッドで寝ることができ個人用のロッカ
  ーもあった。もっとも、海軍兵学校を卒業したばかりの士官候補生は教育的な理由からハンモッ
  クで寝るように指導され、そのためにわざわざ候補生室を中甲板右舷中央部に設けている。他に
  も冷房が効く範囲が他艦よりも広く、大和はその一流ホテル並(水兵からしたら)の快適さから
  他艦の水兵から大和ホテルと羨ましがられる程だったという。
 
 
 
   ド級戦艦という言葉がある。一般的には物凄い戦艦という意味で使われているようだが、実際
  は1906年に竣工した英国のドレッドノート級戦艦のことである。まぁ、ドレッドノートは物
  凄い戦艦だったので意味的には似ているかもしれない。
   このドレッドノート、何がすごいかというと竣工した時点で既存の戦艦は無論、各国が建造中
  の戦艦をも旧式化してしまったことである。まず、それまでの戦艦が主砲を前後に1基ずつ配置
  していたのに対し、ドレッドノートは前部1基、後部に2基、両舷に1基ずつ搭載している。こ
  れによりドレッドノートは1隻で2隻分の攻撃力を持ったのである。また、機関をレシプロ機関
  からタービン機関に変えることで、従来の戦艦の速度が18kt前後だったのを21ktにまで向上
  させている。これは装甲巡洋艦よりも速い速度である。それでいて排水量は18,110tと日
  本の三笠よりも3,000t大きいだけであった。
 
   さて、一夜にして他の戦艦を二戦級にしたドレッドノートだが、それで一番打撃を被ったのは
  皮肉にも英国海軍であった。旧式化した戦艦(これを前ド級戦艦という)を一番多く保有してい
  たのがRoyal Navyで、それらを新型艦に更新する手間が他国よりもかかったのである。それに、
  ド級戦艦はべつに新しい技術を導入しているわけではなく、設計案だけなら日本やイタリアにも
  あるのだ。ドレッドノートが竣工するとドイツやアメリカなどもド級戦艦の建造を開始している。
  ドレッドノートは新しすぎたために英独間の差を縮めて建艦競争の激化を招いたのである。
   ド級戦艦の登場によって戦艦の性能向上は急激となり、1908年に巡洋戦艦が、1912年
  には超ド級戦艦が登場して各国はそれらを主力として第1次世界大戦を戦ったのである。ちなみ
  に巡洋戦艦も超ド級戦艦も最初に建造したのは英国海軍で、そこはやはり大英帝国の面目躍如と
  いったところか。
 
 
 
   最後に13号艦級巡洋戦艦について解説する。13号艦は八八艦隊計画最後の巡洋戦艦(実質
  は高速戦艦)で、四隻の建造が計画された。その特長は攻撃力を重視しているところで、世界で
  初めて46p砲の搭載が決定した艦である。装甲も舷側330o、甲板100oと他の八八艦隊
  の戦艦よりも強化されている。しかも、速力は30ktも出せるのだ。
   13号艦がいかにすごい艦か、ほぼ同時期に推進されていたアメリカの3年艦隊計画の戦艦と
  比較してみると、防御力は舷側に限っていうとアメリカのコロラド級、サウスダコタ級は343
  oと13号艦を上回っているが速度は21kt・23ktとはるかに低速であるし、速度もアメリカ
  のレキシントン級は33.3ktと高速だが装甲は197oしかない。しかも、甲板装甲はどれも
  13号艦より弱いのである。
   このように完成したら世界最強になっていた13号艦だったが、1922年2月7日に調印さ
  れたワシントン軍縮条約によって建造されることなく消えていった。
 
 
    〈13号艦性能データー〉
     排水量47.500t 全長278m 全幅30.8m 吃水9.7m 出力150.
     000hp 速力30kt 航続距離不明 乗員不明
     兵装 45口径46p連装主砲4基8門 50口径14p単装副砲16門 45口径
        単装高角砲4門 61p魚雷発射管8基
 
 
 
もどる 戦争インデックスへ